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NHKの毒親記事に共感するプチ毒親育ちの娘

NHKの毒親記事に共感する

こんにちは、たまおです。30代になってプチ毒親プチ機能不全家族育ちアダルトチルドレン由来の生きづらさに気が付きました。

9月28日、NHK「あさイチ」にて毒親について放送していました。残念ながら視聴はできていません。NHKプラスの見逃し配信がありますが、登録に必要なNHKの登録情報がどこにあるか不明です。

「私は母のゴミ箱だった」ひきこもり母娘40年…たどりついた答え

親と離れ自分の幸せをまん中にすえる方法 – NHK

放送していたと知ったのはTwitterのトレンドに上がっていたからです。それが毒親アカウントではなく鉱物アカウントで上がっているのを見つけました。本当にトレンドワードだったんですね。

毒親について特集が組まれるのは昨今では珍しくはありませんが、私も感じたことを記録しておきます。

前述したように、番組そのものは見ていません。

あくまでネット掲載の記事とTwitter上の反応を見ただけです。

後ほどNHKプラスに登録できるように必要な情報を探してみます。

記事を読んだ所感

同意・共感

only yes is yes
わかるしかない。

書いてあることが、「毒親育ち」や公認心理士が中心になっているからかどうしても共感しっぱなしでした。

まず気づけない。気づいた時の衝撃。

なぜか息苦しい。生きづらい。

罪悪感。

私がダメな人間なんだ。私が異常者なんだ。

上に書いた言葉は私自身の言葉であり他人の言葉ではありません。だけど毒親関連本やTwitter上での発信を見ていると、毒親育ちの方々の多くがそのような思いを抱いてきているのだとわかります。

何故だか毒親はみな同じような手法で子を苛み、子は同じように苦しむ。細かくは人によって異なるけれどなぜか似ている。あるある!と言っちゃう共通点が多いんですよね。

登場するお母様のコメントには自身の親子関係を重ねて反発を覚えてしまう

「私は母のゴミ箱だった」ひきこもり母娘40年…たどりついた答え

上記の記事ではお母様の意見も登場します。

ここに紹介されている親子関係は、その親子にしかわからないところがあるので、登場する個人を非難するものではありません。

ただ私は、こうした特集で親子両者の意見が出てくると、どうしても自分自身の親子関係を重ねてしまいます。

水面に映る木と夜空
私が見ているのは登場人物ではなく、自分の親子関係の方。

そして娘に共感し、母への反発が起きます。

この感情だけを短絡的に取り上げてしまうと単純に「この母が悪い! 何言ってんだこの野郎!」という過激派になってしまいます。

と同時に娘側に対しても「甘すぎるよ! なんでそんな寛大になっちゃうの!?」という同情だけではない、怒りにも似た、とげとげした気持ちになってしまいます。

だけどその感情の本質は、そこに登場する親子へ向けたものではないんです。

私自身の親子関係に向けられたものなんです。

母には母の事情がある。それはわかる。私も母の事情は知ってる。でもだからと言って娘(私)に押し付けていいものじゃない。

私が欲しかったものが得られなかった事情だって分かる。だけど子供は理性的に納得はできない。

洋服が選べない

親と離れ自分の幸せをまん中にすえる方法 – NHK

上記の記事で書かれていました。以下は抜粋です。

たとえばですが、洋服が選べない。「私は本当はどんな趣味なのだろう」とか、「私に似合う服って何だろう」とか一切わからないって人は多いですね。母親の好み以外の服を着ていると、母親から存在をけなされたりするのです。「似合わないよ、その変な服」とかね。そうなるとやっぱり母親が選んだ服がいいのかなって思って、そのまま行く人もいると思います。

「“水くさいと”言われたら成功です」親と離れ自分の幸せをまん中にすえる方法https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html

まさにここに書いてある通りでした。

私が自分の好きな服を自信をもって着ることが出来るようになったのはつい最近、30歳前後になってからのことです。

それまでは本当に自分で選ぶことが出来なくて、母親と一緒に買い物に行くしかできませんでした。

もちろん大学生の時、友達と服を買いに行きました。自分がかわいいと思ったものを着ることもありました。当時一部で流行っていたブランドの、フリフリの服が好きでした。昔から妙にボーイッシュであることを求められていた反動か、フリフリしたものへの憧れがありました。同級生にもゴスロリっぽい子がいたことにも影響されていました。

ドレスのようなチュールスカートを着た女性
フワフワしたものが着たかった

ただやっぱり私自身、センスがないんです。それは今振り返って恥ずかしいくらいわかります。

大学を卒業してからはフリフリを着るわけにもいかない。だから普通の服を着てるつもりなのに、親からは「ダサい」「おかしい」と言われる。

親が求めていたのは「女子アナみたいな清楚な服、誰にも好印象な服」でした。女子アナの服を参考にしたら?と言われたんです。

様々な女性のヒールの靴
ヒールのある靴は苦手。

彼女たちは確かにおしゃれだけど、私が着たいものとは違うんです。ああいう綺麗なもの、素足を出すもの、ヒールが似合うもの、女性らしさを感じさせるもの、それは私が窮屈に感じるものでした。

その一方で、「あんたはダボっとしたような、ゆるっとしたようなのが似合う。白じゃなくて生成り色みたいな」とも言われました。

確かにそのほうが着心地はいいんだけど、その言い方が妙に馬鹿にされたように感じました。

と同時に、女子アナみたいなのと正反対じゃないか……なんなんだ、結局。と混乱したものです。

私が自分で選んだものはケチをつけられる。自分で組み合わせたら変と言われる。

だったら最初から母親に選んでもらったものを着たほうが何も言われない。

「私って変なのかな」と不安になることもない。

それに母はセンスがいいんだ。母自身がいつも「私はセンスがいい」と自慢していたし、実際にセンスが求められる仕事では結果を出しているじゃないか。

まさに「やっぱり母親が選んだ服がいいのかなって思って、そのまま行く」という状態でした。

いつも困る質問「何色が好きですか?」「どんなのが好きですか?」

洋服選びに困ると店員さんや友人にそう聞かれますよね。でも答えられないんです。

私って何が好きなんだろう?

いつもどんなものを着ているんだろう?

好きな色だって別にないしな。

似合うって言われたものも覚えてないな。

何事につけても自分で選択することが出来ない

でもこれは服に限った問題ではありません。

どこに行こうかな、いつ行こうかな、あの人に何を上げようかな、これを買ってみようと思うけどどうかな――。

何か自分で決めようと思ったときに、なぜか、必ず、母親に真っ先に相談するようになっていました。そして母親の意見に従っていました。

だけどそれはアドバイスや後押しではなく、私の意見を否定から入られるものでした

年長者に相談して意見を求めることは、それ自体は悪いことではありません。時にそれが必要な場面もあります。

だけど私の場合、それが中心になりすぎて、自分自身の意見がわからなくなっていました。

自分で決めたことを否定され自信を失う

ぼやけた自分に手を伸ばす女性
自分がわからない。

自分の中に芽生えた「~したい」「~がいいな」という気持ちを、母親に相談する。すると必ず否定される。

「そんなもの?」「変」「ダサい」「そんなの迷惑」

言われるたびに、「そうか。じゃあ母に決めてもらおう」となっていました。

じゃあ母親に相談しなければいいじゃないか。

という反論も当然あります。それはそうです。返す言葉もございません。

なのになぜかそれが「できない」。

相談しなかったら、ものすごい不安に襲われるんです。

誰だって最初はそうだ。その不安が的中するか外れるか、そういう経験をして自分のセンスを磨いていくものだ。

とも言われるでしょう。それもそうなんです。でも私にはそのメンタルの強さがなかったんです。

私の意見、私の希望、私の幸せとは?

「えっ?私の幸せですか?」って。「えっ?何だろう。私の幸せって。わかんない」っていうことにショックを受ける。そうゆう方たちは、母の幸せの中に自分の幸せも入っているんでしょうね。

「“水くさいと”言われたら成功です」親と離れ自分の幸せをまん中にすえる方法https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html

私の幸せ、私の希望、それってなんだろう?

初めて通院した時に、看護師にも医師にも言われて困ったことがあります。以前の記事でもふれました。

ハートがくりぬかれた緑の壁
心療内科への通院と休職:Part2 こんにちは、たまおです。 プチ毒親・プチ機能不全家族育ちのアダルトチルドレン、生きづらいと呼ばれる人間だったと気が付きました。そ...

今でも、私の幸せや私の希望がわかりません。

今までは

会社を存続させて従業員の雇用を守ること、私たち自身が生きるのに必要な収入を得ること。

と思っていました。

でもそれってよくよく考えたら、母親の言葉でした。

母親がいつも言っている言葉が「会社の借金を返さないといけない。それまでは会社をつぶすわけにもいかない。今いる従業員も私たちも路頭に迷う」というものでした。

だから私の願いもそう。

だけど、それが「私の幸せ」なの?と聞かれると……あれ? なんか違う気がする。

当事者同士の交流・発信を知ることの大切さ

ハートを持つ二人の手
「いいね」で励まされる、慰められる

記事の冒頭でも挙げられているぐらい、まず「気づけない」んです。気づくことから第一歩が始まるのに、気づけないんです。

だからこそ、自分の気づきを、「そりゃ当然ですよ」とか、「君の言うとおりだね」っていうふうに、同じように味方になってくれる人がいることが大切だと思います。

「“水くさいと”言われたら成功です」親と離れ自分の幸せをまん中にすえる方法https://www.nhk.or.jp/gendai/comment/0022/topic025.html

記事内でもこのように書かれている通り、まずは気づき、肯定してくれる存在が重要だと思います。

なぜならばずっと私たちは人間関係における最初の存在である親に、そして自分自身に、否定され続けてきたのですから。

毒親問題の親の方はもう、どうでもいいと思っています。問題なのは「親子関係に起因する生きづらさ」です。

だらか「毒親」という言葉がダメなら「子供にとって身体的あるいは精神的に何らかの害をなす親」でも「子供にとって人生をかけても相容れない思考を持った他人」でも「血は繋がってるけど他人だったら関わりたくない人間」でも何でもいいと思います。

とにかく、そうした人に育てられて、洗脳されて(子供にとって親は全知全能の神、または頼らなきゃ生きていけない)、「良識を持った大人に成長したはずなのになぜか自分は周りの人のようになれない、なぜか自分を認めることが出来ない、わからない、名前が付かない苦しさがある」状態になってしまったことが問題だと思います。

私も、何故かわからないけど周りの人と違う、周りの人のようにいい人間になれない、普通が難しい、と感じていました。今にして思えばそれが生きづらさと呼ばれるものだったとわかりました。

ふとしたときに、親との思い出がよみがえる。その時に伴う感情が嫌なものだった時、Twitter上で発信すると共感してくれる人がいる。あるいは、誰かのツイートを見て気づくことがある。

私だけじゃなかったんだ!

私がおかしいわけじゃなかったんだ!

という気づきは、自分を取り戻すのに必要な過程だと思います。

まとめ

次回はTwitter上での反応について、思うところを書きます。

ABOUT ME
たまお
独身30代女。一人暮らし+猫7匹+地域猫。保護した子猫がなかなか譲渡が決まらない。 自分は恵まれていると思っていたら、実はプチ毒親プチ機能不全家庭育ちで生きづらさを抱えているのだと発覚した。 現在「生きづらさ」とは違う「自分らしさ」を模索中。 別ブログには、20代後半の婚活について振り返り中。https://konkatsu.tamaogatari.com/