こんにちは、たまおです。
しつこいぐらいにNHKあさイチ「毒親特集」に触れてきましたが、番組に触れるのはこれで最後にしようと思います。



青木さやかさんのことを調べようと思ったら、あさイチのあとにYahoo!にてこのような記事もありました。
今回は番組内での発言を聞いて感じたことを中心にした感想文です。それぐらいツイッターでやればいいじゃん、という程度かもしれないけど、私はまとめてここに残します。
なぜならTwitterってすぐに流れて消えるからです。
それは私にとって残すという行為にはならないと考えます。なのでこの記事で書くことは本当にただの個人の感想です。番組をご覧になった皆様ごとにいろんな感想があったと思います。ご自分の感想を大事にしてください。
- 「親子なら分かり合える、は幻想」という言葉にショックがあるかもしれないが
- これからの内容を全部見ていただければ納得できると思います
- 毒親問題には母と娘の例が多い→父親の不存在
- 母の行動と人格を分ける。行動が嫌であって人が嫌なんじゃない。具体的に嫌な行動を伝える。
- 「第三者がいたほうが円満にいけるんじゃないかと思って母の友人を呼んだのでは?」
- 母と会うときのルール
- 青木さやかさんの対応に公認心理士が絶賛
- 地を出すと壊れる家族はいっぱいある。家族間でもパフォーマンス(演技)が必要。
- 親は子供のためを思って、善意で、良かれと思って…
- 「毒親という言葉が出てきたから子供から親に言っていいということになった」
- 「親を知る事(メタ認知)、母親研究をすることで心理的距離をとれることもある」
- 「親子だからわかってほしいと期待しすぎたところはある」
- 「“分かり合えない”と“仲直りできない”は別」
- 「実の父親でも無視していいですか?」
- 「ありのままの私を愛してほしかった」
- 「毒親なんてそんな言葉、誰が言い出したの? 大人になるまで育ててくれたのに何故そんなことが言えるの?(60代)」
- 「カウンセラーの立場として、親子関係の問題は第三者に相談していいものだとわかってほしい」
- 衝突がいけないことではない。
- 青木さんの発言に苦しさや闇を感じることがあった
- 視聴者から寄せられたメッセージにもたくさんのポイントが
- 「カウンセラーには介護をしない方がいい、施設のほうがいい」といわれたが、悩んだ末に娘が介護をすることに
- Twitter上でも危惧された「毒親にとって都合が言い終わり方」
- 母側の意見として
- 「親を憎んでも苦しかった、それでも親子なんだな」
「親子なら分かり合える、は幻想」という言葉にショックがあるかもしれないが
コーナーに入る直前に、このように言われていました。
え、ショック受けるの?
普通のことじゃない?
親子なら分かり合える、って共通認識の常識だったの?
むしろ「ショックをうけるかもしれない」の言葉の方がショックでした。私は母がプチ毒母だと思うよりも前から
「他人は他人、他人と分かり合えるわけない、それは親子でもそうだ」
とプチ毒母自身から教わってきたので、逆にびっくりしました。
これからの内容を全部見ていただければ納得できると思います
と思っていたら一応こんな風にフォローが入っていました。
いやいや、これからの内容を見ないと納得できないような人たちが大多数なの……?
とこれまた、逆に私にとってはショックでした。
毒親問題には母と娘の例が多い→父親の不存在
番組内で取り上げられているのは母と娘の話でした。
Twitter上や、後に番組に寄せられるメッセージでもわかりますが、父親がとんでもない毒性を持っているケースもあります。
番組内では公認心理士さんは毒父のケースも認めたうえで
「母と娘のケース、娘側からの相談が多いですね。やはり育児は母親専業だった。家庭での父の存在感が少ないということが大きいと思います。あとは子供と同性か異性かですね」
と言われていました。
これはこれで闇を感じます。父親、それでいいの?

私の職場の同僚には男性が育休を取得した夫婦がいます。旦那さんの職場は大手の会社ですが、男性が育休を取得したのは初めてだったそうです。素敵な旦那さんだと思いました。
最初に行動する人は勇気がいるし非難されるかもしれないけど、革新者になれば賞讃も得られるということを知ってほしい。そして家庭内に父親の存在を作れ。
「俺は稼いで家庭を支えるから!」というタイプなんでしょうか。ご夫婦が納得してるならいいと思いますけどね。子供にとって父親の存在は大切だと思いますが。
「母子で衝突が起きているときの父親はどうしたらいいか?」というメッセージが寄せられました。
「子供の見方をすると夫婦関係が悪化します。原則は夫婦はいつも仲良し。仲裁は必要だが妻の味方、奥様のケアをするのが夫の役割です。関わらないというのは無責任ですよね」
私は父母が揃って生活している記憶はありません。別居(母と私が家を出て父が嫁実家に残るという異常なケース)したとき、たぶん幼稚園ぐらいでしたが、記憶の中に父の姿はないです。
母の行動と人格を分ける。行動が嫌であって人が嫌なんじゃない。具体的に嫌な行動を伝える。
というのが信田さんのかアドバイスで、“I”メッセージという手法を説明されていました。“私”を中心にして相手に配慮した伝え方です。
こちらのサイトに詳しく書かれています。
できたら理想的ですよね。番組内では上手につ明けている例を再現ドラマにされていましたよね。
私もやったことあります。プチ毒母に対して「私はあなたのこういうところが嫌だ。私はあなたにこうしてほしい」と。
プチ毒母には通用しませんでした。
まず人の話を聞く気なんてないんです。こちらがどう思っているか、どう感じているか、何を伝えようとしているのか、全く関心がないんです。
自己正当化、自己保身、自分の苦労話を一方的に押し付けて来てこちらが疲れて終了です。私の伝え方の問題だったんでしょうか。
それともNPD(自己愛性パーソナリティ障害)の特徴でしょうか?


「第三者がいたほうが円満にいけるんじゃないかと思って母の友人を呼んだのでは?」

再現ドラマを見終わって番組内での考察の言葉です。これに対して信田さんははっきり
「お母さんはそういう意図があったとしても、娘さんにとってはお母さん陣営が増えただけで、自分一人しかいないと思っちゃったかも」
と言われてました。
仰る通りです。
むしろ第三者の介入を求めた時に何故「第三者=自分の友人」という発想になるのか、そこがもうすでに自分の味方を用意しよう、自分を守ろうという意図が見え見えじゃないですか。本当に第三者を介入してスムーズに取り持ってもらおうと思うなら、まず娘にその相談をするべきではないでしょうか?
毒親関連本を読んでいると「親との対決の場に第三者を介入するならカウンセラーがいい」と書いてあります。親戚だと母親の味方になるからだそうです。
私もこれを言ったことがあります。
プチ毒は母がしつこく迫ってきたことがあります。
これからどうするのか、どうしたいのか。
自分に不満があるなら言え!
カウンセラーがいる場じゃないと嫌だ。
一対一で話してもいつものように一方的に強く言い押さえられて終わる。
それは動画でも本でも書いてあることだ。
あなたは私が勧めた動画や本で毒親のことを勉強したといったけど、してないでしょ?
それに対してプチ毒は母は黙り込んでました。馬鹿じゃないの?と内心呆れました。
母と会うときのルール
再現ドラマでも指摘されていた、素晴らしいやり方だということです。毒親関連の本でもこれは書いてあります。親と接触・対決するならルールを設けること。
- 自分のテリトリー(自宅)にはいれない。
- 一緒にいる時間を決める。
- 会う場所は自分が指定する。
などなど、そうすることで自分が親に振り回されずに自分を守ることが出来るからです。
青木さやかさんの対応に公認心理士が絶賛
「母が嫌いだけど、いなくなるのは怖い。最後は機嫌よく向かおう。演技でも」
「過去の蓄積があるから、こういったらこう返ってくるだろうというのがあって、どうしても不機嫌に落ちちゃう。だから稽古通りにした」
「心ではなく行動から変えていく」

番組内でこのように青木さんが言われていました。
この「過去の蓄積があるから、こういったらこう返ってくるだろうというのがあって、どうしても不機嫌に落ちちゃう」の部分がすごくわかります。これまで何度もバトルしてきたからわかるんですよね。だからもう最初っからうんざりしてる。
そしてそれをわかった上で、青木さんの「演技の稽古をしていった」「行動から変えることにした」という対応を信田さん絶賛。
なかなか私はまだ真似できないです。
「母が嫌いだけど、いなくなるのは怖い」これもわかるんです。私は認めたくないけど、やっぱりプチ毒母への、愛情というとおぞましいけど、依存心みたいなのがあるんでしょうか。
だからこそすべてを捨てて遠くに逃げ去るんじゃなくて今もぐずぐず家業に参加してるのかもしれない。
地を出すと壊れる家族はいっぱいある。家族間でもパフォーマンス(演技)が必要。
信田さんの発言です。この発言だけ見ると、なんともギクシャクした家族像を思い浮かべそうです。でもそれがよくない文化なのかもしれません。番組内でも、演技というと嘘みたいに捉えて悪いことだと感じる日本人が多い、と言われていました。だけど演技も一つの自分である、と演技の必要性も訴えられてました。
つまり親しき仲にも礼儀あり。とはTwitter上で言われていた言葉です。
「家族だから包み隠さず全てを曝け出したのを受け入れてよ!」っていうときって、大体「悪いものを受け入れろ!」ってことなんですよね。無理です。受け入れられません。
ゴミ処理場じゃないんで。悪いものは自分で処理してください。
楽しさや喜びさえも受け入れない家族もいますけどね。我が家のプチ毒母も私の幸せにケチをつけないと気が済まない人です。
親は子供のためを思って、善意で、良かれと思って…
「親は子供のためを思って良かれと思ってやっていることがこういうことに繋がるなんて心苦しい、どこの家庭でもあると思う」
「同じことをやっても毒親と言われる部分と、ありがとうと言われる部分があるのが難しい」
とは番組内のコメント。
もうこの言葉はうんざり!ってぐらい溢れてます。
子供のためを思うなら子供に聞いて、子供の意見を尊重して、話し合って、子供の表情をよく観察しろー!
と、声を大にして言いたい。
「子供のためを思って良かれと思ってやってやったのに」「善意でやってやったことが毒親って言われるなんて苦しい」ってそれは母親中心軸になってる!
子供を中心に据えてよ!
「同じことをやっても毒親と言われる部分と、ありがとうと言われる部分があるのが難しい」
状況をよく分析しろー! 前後の状況や文脈を無視して一部分だけ取り上げてジャッジしようとするからそうなるんです!
子供の言うことを何でも聞けというんじゃないんです。子供の言動を社会に適合さえていくのも親の役目なんだ、と番組内でも言われていました。
その通りだと思います。だから何でも子供の言いなりになるんじゃなくて、子供の様子をよく観察してほしいです。
親にはそんな余裕はない!
と言われるでしょうけど。難しかったら「毒親と非難される親」と「自然と親に感謝する子供に育った家庭」との違いを研究してほしい。あとカウンセラーも頼ったらいいのに。
「毒親という言葉が出てきたから子供から親に言っていいということになった」
「どこの親でも善意と愛情があってやっていること」
「だから子供が我慢しなきゃいけない。問題が起きたら子供の性格に問題があると思われてきた」
「でも毒親という言葉が出てきたから、子供から親に言っていいということになった」
「こういわれた時に、娘が変だ、娘が病気になったと言って自分が悪かったことを受け入れられない親は多い」
「毒親という言葉は最大級の言葉なのでできるだけ使わない方がいいと考えている」
「毒親という言葉は責める言葉であり好きではないが、毒親と言わざるを得ないところまで追いつめられている人がすごくいることはわかってほしい。いわれた親が変わることはない。」
とは信田さんの言葉です。そうです。私も絶賛プチ毒母から「あんたがおかしい」「あんたは人格異常者」と言われ続けています。
問題は「毒親」という言葉じゃないんですよね。親子関係に問題がありそこを起点に子供が病んでいるという現実があるということです。
「親を知る事(メタ認知)、母親研究をすることで心理的距離をとれることもある」
「親を知る事(メタ認知)、母親研究をすることで心理的距離をとれることもある」
番組内で、自分で介護をすることを選んだ娘さんに対して「この人は人は長い時間親と距離をとっていたその後に親と出会った、そこで他人のように接することが出来たんですね」と信田さん。
それもいろいろ本や動画で知りましたが……私はまだその境地には至れないです。下記の記事ではそのことに焦点を当てて吐き出しました。

母の境遇は知ってます。でもそれは私には関係ないっていうか、私じゃなくてカウンセラーにぶつけてよ。
母も苦労してきたんだ。それはわかる。
で? だから私を攻撃していいということにはならないぞ?
「親子だからわかってほしいと期待しすぎたところはある」
子供側は子供側でそうなんですよね。それでも親なんだからわかってよ! っていう思いがあるからこそこれまで何度もバトルしてきたんです。
結果として「この人は何を言っても理解できないんだ」と当事者の方も言われてましたね。
子供はそんな親に期待しても無駄。そんな時、期待、というか信頼できるパートナーがいる人が羨ましく見えます。
毒親で苦しんでいる人の話の後に、家を出た後にパートナーに巡り合えて…とかパートナーに支えられて…などの話を聞くと「あ、この人は新しい家族を得ることが出来たんだ。私とは違うんだな」と別世界の話に思えてしまいます。独身者の孤独が混ざってるというか、隣の芝生が青く見えるだけなんでしょうか。
「“分かり合えない”と“仲直りできない”は別」
「分かり合えない人と一緒にいることはできる」
「全員について当てはまるわけじゃないけど」
信田さんが言われていました。全員について当てはまる事じゃない、つまりケースバイケース、とんでもない有害な人物の場合や、既に傷つけられて消耗しきっている人は別ってことかな、と想像しました。
分かり合うと、仲直り、修復。
言葉の違い、意味の違い、難しいですね。
「実の父親でも無視していいですか?」
「実の父親でも無視していいですか?」
「いいです。けど、Iメッセージ、私はあなたのこういう言い方が嫌だからしばらく聞きません、と言った方が自分にとって得する」
番組に寄せられたメッセージの一部でした。
私が自分の立場で考えると、やっぱりIメッセージすらも送りたくない、言ってもどうせ論点ずらしたり突き放したり罪悪感を与えるようなヒステリーが返ってくるだけだな、と考えます。
Iメッセージでうまくいく成功例ってどれくらいあるんでしょうか。
「ありのままの私を愛してほしかった」
「ありのままの私を愛してほしかった、という気持ちは持ち続けてもいいが、子供を産むと子供に向かうと繰り返される。親の世代で処理をすることが必要」
寄せられたメッセージへの返答です。
確かに毒親関連本でも書かれてました。これが毒親の連鎖につながるんでしょう。
孤立した母親にとって子供だけが自分をありのままに受け入れてくれる存在、とみなしてしまうと……その結果がどうなるかというと……。
「毒親なんてそんな言葉、誰が言い出したの? 大人になるまで育ててくれたのに何故そんなことが言えるの?(60代)」
番組に寄せられたメッセージです。年代を見てちょっと納得しました。
60代の方なら、もしかしたら戦後の混乱期の中で育てられたのかなあと。
もしかしたら育ててもらえない可能性が常にあったのか、自分が親代わりをしていた苦労があるのかもしれない。
とはいえ、だからって親子関係に悩んでいる人に向けていい発言じゃないです。この人は、あらゆる苦痛を受けてきた虐待サバイバーにも同じことを言うんでしょうか。言うんだろうなあ。それでもその年まで育ててくれたんでしょ?って平気な顔して言いそう。
「カウンセラーの立場として、親子関係の問題は第三者に相談していいものだとわかってほしい」
信田さんの言葉です。
親子、家庭。
閉ざされた世界の話ですよね。私もTwitter上で「とんでもねークズ親だ……」と思うことがあっても、それを面と向かって「あなたの親ってクズですね」なんて言えないです。やはり他人様、他所様、という意識があるのかもしれません。そうすると閉ざされた世界に外部の人間が口を出しちゃいけない、みたいな感覚になります。
でもそうじゃない。外部に相談していいことなんです。本を読んでいると、むしろ閉ざされた家庭は危険だったりします。
「本人は距離をとっていると思っていても、親や周りから見たらとってないように見えることもある。第三者、プロに相談してみてほしい」
「第三者の介入は慎重に。失敗すると親子で外部の介入を避けるようになる」
番組内で言われていました。本当に思います。もっと気軽にカウンセラーに打ち明ければいいと思います。
後半の言葉も重要なことなんでしょうね。自分の親に問題があると認められない人に対して「あなたの親に問題があるよ」なんて言ったらシャットダウンされます。
衝突がいけないことではない。
「衝突がいけないことではない。その後のフォローが大事。話し合えるかどうか」
「顔色を窺って積み重なっていくのが一番よくない。空気の読みあいの積み重ねは大きな爆発につながる」
悩んでいた子供側は「自分のことを見てもらえなかった。自分の意見を聞いてもらえなかった。」というのが多い。
などなど言われていました。本当にそうです。子供は言いたいことがあってもなかなか言えない。言ったら親が爆発するから。反抗するなら家を出て行けと言われて終わるから。
親も人間、子育ててイライラすることだってあるでしょう。それは否定しません。だけどそれで子供がおびえて自我を出すことが出来なくなって、将来親子関係に問題があり子供自身の精神を病むなんて未来……そうなるために親は子育てしてるわけじゃないでしょう?
イライラするのはいい。衝突してもいい。だけど後で謝ってほしい。
本にも書いてありました。一人の人間として、親であっても悪いと思ったら謝らなければならない。それが一人の人間として尊敬に値する姿だと子供にもわかる。
だけど実際には子供には謝らない親が多い。親が子供に謝ったらおしまいだ、なんて考える親は多いです。
衝突したら謝ってほしい。
いや、もう謝らなくてもいいから、ただ一言自分の非を認めて「ああ、そうだったね」と子供の意見を受け入れてほしい。
私はそう訴えたことがあります。でもプチ毒母から返ってきたのは
あんただってそうだろうが!
という論点ずらしでした。
何言ってんの? 言ってることが幼稚過ぎない?
青木さんの発言に苦しさや闇を感じることがあった
「母に会うときに一つミッションを設定し、それを淡々とこなす」
「母からは、あなたは誰よりも優しい子だったでしょう、と言われた。でもどういう理由かは分からなかった。私は優しくなかったので」
「私よりも弟のことが好きなんだと思っていた」
「この人は私を愛しているんだ、と感じたのは貴重な体験だった」
随所随所で当事者として苦しんだ経験を話されていましたが、その中でもこのあたりが妙に心に残りました。
私も、母は私より姉の方が大事みたいだと感じています。その癖はプチ毒母は「妹のあんたの方を可愛がってきたのに」と自称します。
私はそれを受け入れることが出来ません。その発言もプチ毒母によるお涙頂戴、同情を引きたい、自己正当化の一つだととらえています。
だから青木さんの「どういう理由かは分からなかった」がリアルに感じたし、「私は優しくなかったので」という発言もまだ自分を受け入れることが難しいのかな、と感じました。
このあたり、毒親育ちのリアルな発言に聞こえました。とはいえ青木さんの心境はわかりません。
私は、毒親が「あなたのことを愛してるのよ。あなたは昔から誰よりも優しい子よ」と言われたとしても素直に受け入れられない、また何かほざいてるわ、どうせ違う目的で言ってるだけなんだろ、と思えるんです。
視聴者から寄せられたメッセージにもたくさんのポイントが
「母親が一言ごめんと言ってくれれば解決できるのにな」
「母親がベタベタメソメソするタイプです」
信田さん「メソメソする母親から逃げて自分を守ってもいい。母親は他の人に役割を求めるでしょう。他の人が大変な思いをするかもしれないけどそれは知らない。そこで母親にカウンセリングを進めると母親も話し相手が出来て、ウィンウィンになることもある」
「自分が毒親だったかもしれないと気づいた、過去は取り返せるでしょうか?」に対して信田さん「過去は取り返せないけど今からできることはいっぱいある」
そうですね。どれだけ過去に酷いことをしたと毒親が反省したとしても、被害にあった子供は、もう子供時代は取り返せません。人格形成の大切な土台はぐちゃぐちゃのままです。どんな形で反省して謝ったところで、それは毒親の自己満足でしかないと思います。
だからこれからの行動が問題ですよね。
これは子供側もそう感じます。親を恨んでもいい。恨んで憎んでもいいけど、これから生きていくのは自分だから、自分が生きる力を得ないといけない。そのために精神科やカウンセリングに頼りながらでも。
「カウンセラーには介護をしない方がいい、施設のほうがいい」といわれたが、悩んだ末に娘が介護をすることに
「この人は自分で介護することを選んだ」
「でも介護をするかしないかは自由。家族でも介護を拒否することもできる。と多くの人に知ってほしい」
これ大事ですよね。時々「子供産まないの? 老後どうするの?」という声を聴くと、あんたは子供を介護の道具としか思ってないのか、と呆れます。子供がいたって、親の老後を見る保証はありませんよ。子供には子供の人生があるんです。
でもきっと毒親はこういう都合の悪い部分を無視するんです。あるいは自分理論で捻じ曲げて否定したりね。
Twitter上でも危惧された「毒親にとって都合が言い終わり方」
最後は娘は母のもとに帰ってくるという終わり方はどうなんだ。
娘は結局母の介護をやってくれるという印象を与えて終わった。
でも逃げたままでもいいじゃないか。
これはTwitter上の反応です。確かに確かに。と頷きながらTLを見ていました。
番組としてはきれいな終わり方がいいんだろうけど、紹介される2ケースが2ケースとも綺麗な終わり方をされると、毒親は勘違いするだろうし、毒親の被害を理解しない人にとっても「やっぱり親子じゃ~ん、仲良くできるよ~」みたいな印象を与えそうです。
番組に寄せられた視聴者のメッセージをもっと紹介してほしかったですね。
母側の意見として
「娘は言ったことをやる素直な子だった」
「良かれと思って」「あなたのために」
「私の言うことを聞いていれば間違いない」
「わざとやってたわけじゃない」
「娘に突然責められて青天の霹靂」「思いもよらないこと」「逆に言われるとグサグサ来てカチンとくる」
信田さん「相手の受け取った側の気持ちを考えないといけない」
「よかれとおもって、は罪深い」
他人の母親ながら、イライラしたのが本音です。
まさにその思考が問題なんだよ、と言いたかった。
うちのプチ毒母がそうです。娘の必死な訴えを「カチンときた」って自分の怒りに変えてるのが、本当に子供のことを見てないんだな、と感じました。「子供がこんなに苦しんでるのが可哀そう」という思いは一つもないんだ、と。自分が可愛いだけなんだと。
このケースの娘さんも、何度も何度も母親とぶつかって至った結論だと言われてました。
「この人はわからないんだ」
「この人はどんだけ言っても通じない」
「この人は理解できない、もうやめよう」
「自分の人生を生きよう」
「親を憎んでも苦しかった、それでも親子なんだな」
番組の最後の締め間際の青木さんの言葉です。
苦しんでいろいろ試した当事者が言われた「それでも」の一言に込められたものは、たくさんの意味があると感じました。
それでも親子なんだ。
これは絶対に「どんな関係でも親子なんだから愛情があるに決まってるよ~。分かり合えるよ~」とは違います。
他人なら苦しまなかった。ただの嫌な他人なら苦しまず離れるだけで終わった。離れることもできない、離れても苦しい。
この「親子」という関係は罪深い。