こんにちは、たまおです。今回はセクシャリティについて語ります。
何を隠そうこの32年間恋愛経験0、人を好きになったことがありません。異性も同性もです。残念ながら告白されたこともありません。
毒親育ち・機能不全家族育ち・アダルトチルドレンは恋愛依存について指摘されることがあります。
ですが私は全くの逆で、恋をしたことがありません。毒親育ちの中には、恋愛依存するタイプとは逆に、人と親しい関係・信頼関係を築くことが出来ないタイプとがあります。
私が人を好きになれないのは、セクシャリティの問題なのか? 毒親育ち由来なのか?
人を好きになったことがないという人に向けられる言葉はこんな感じです。
空想のキャラクターに恋してたからじゃないの?
現実を見てないからじゃない?
理想が高すぎるんじゃない?
友達や家族や動物にも何も感じないの?
いつかできるよ。(と言われて10年以上経った)
フィクションと現実の違いぐらい区別はつきます。熱いオタクでも普通に現実で恋愛をする人だっています。
「こういう理想の人と出会いたい!」もないです。
セクシャルマイノリティ(性的少数者)=通称セクマイ、LGBTQという言葉は普及してきました。言葉は普及しても認識についてはまだ過渡期だと感じています。各媒体での発信者も多くなってきたように思います。
と、ここまで書いてふと思い浮かびました。
Qって何?
LGBTQのQは「クイア、クエスチョニング」=私のこと?
こちらのサイトが一番にヒットしました。
上記のサイトによるとQとは
※Qを表す「クイア」は、もともと「不思議な」「風変わりな」「奇妙な」などを表す言葉で、同性愛者への侮蔑語でしたが、現代では、規範的な性のあり方以外を包括する言葉としても使われています。「クエスチョニング」は、自らの性のあり方について、特定の枠に属さない人、わからない人等を表す言葉です。 日本におけるLGBTQの割合は、調査機関・調査方法によってデータにバラつきがありますが、現在では約3%〜10%と言われています。
https://tokyorainbowpride.com/lgbt/(LGBTQとは – 東京レインボープライド2022)
「自らの性についてわからない人」ということのようです。
では私はここになるのでしょうか?
もう一つの結論は「恋愛感情を持たない」タイプです。
結論:毒親育ち由来の可能性もあるけど、今はアロマンティック・アセクシャルと考える
毒親育ち由来と考えない理由
毒親育ちで人間関係が苦手な人でも、恋愛したり交際したり結婚したりが出来る人はいるからです。
記事を書くにあたって、「毒親育ち 恋愛経験がない」と調べたら知恵袋や悩み相談サイトがでてきました。
回答の中には、「毒親に隠れて恋愛してた」「自然と人を好きになるもの」「いつかできるよ」「結婚しようと思うなら行動しないと」「自己肯定感を高めること」「いろんな場所に行って人と交流してください」などなど……
だから自然と恋愛感情が起きないんだって。
いつかできる、は聞き飽きたし本質じゃない!
結婚したいだけなら相手を選ばずに婚姻届けを出せば済む話、でもそういう意味じゃないんだよ。
自己肯定感は高めたい……。
いろんな人に出会おうとしたけど、それが無理だったんだよ。(詳細は後述)
アロマンティック・アセクシャルと考える理由
セクマイの一つであるアロマンティック・アセクシャルと考えるのもまた上記と同じ理由です。生育環境に関わらず人を好きになったことがないから、今はひとまずこちらだと考えることにしました。
この言葉を知ったのは、悩んでいた時期に調べて辿り着きました。上記サイトでも解説があります。
Aロマンティック
他者に恋愛的に興味関心を抱かない人々のこと
Aロマンティック
他者に恋愛的に興味関心を抱かない人々のこと
https://tokyorainbowpride.com/lgbt/(LGBTQとは – 東京レインボープライド2022)
有名ファッション誌VOGUE JAPANでも記事がありました。
NHKドラマ「恋せぬふたり」がありましたね。
実は見てません。見るのがちょっと怖い気持ちもあります。もしもこのドラマでも恋愛賛歌だったり、「やっと真の愛を見つけた」とかいう展開だったりしたら、また否定されたように感じるからです。見てないからわかりませんが、どうなんでしょうか。
そしてNHKドラマ「恋せぬ二人」に関連記事として、下記の記事にも詳しく書いてありました。読みごたえがあり、ドラマに対してどのような構成にしたのかという他にも、ドラマでは描かれていない面についても配慮されています。上記にあげた私の感じた不安を解消してくれるものでした。時間がある時に、ドラマが今でも見れるのか調べてみようと思います。
婚活してた時期もあるが…
20代後半には友人に誘われて、婚活アプリを使ったこともあります。数名と会いましたが発展しないどころか、男性は悪くないのに私が一方的に「気持ち悪い」と嫌悪感を抱く結果となってしまいました。
この経験から、私は男性に恋愛感情を抱くのは無理ではないか、とかなり強く思うようになりました。なお、友達や職場には婚活アプリを通じて家庭を持つに至った人もいます。だから婚活アプリの質の問題でもありません。
男性恐怖症ではない、でも何故か嫌悪感がある
仕事でもお店でも、男性と話すのは何ともないので男性恐怖症とも言えません。男性からアプローチされたら嫌になる、というわけでもありません。婚活の場においては、初対面で言葉を交わす前に私が拒否感を覚えました。
中には複数回お会いした男性(12歳以上年上)もいましたが、一向に何の感情もわきません。周りからは「恋愛なんて会ううちに愛着がわくものだから」と言われていました。
ところが何度あっても楽しくない、というかLINEが来るたびに不快感がある。
通知音と名前を見ただけで嫌悪感がわく。
気持ち悪い。嫌だ。
この人と手をつないだりキスするって思うと気持ち悪さしかない。
そんなの中学生の悩みと同じ。
LINEの文面も何も悪くないじゃん。こんなものよ。
と一蹴されるだけでした。
いやいや、中学生って好きな子とキスはするけど好きでもない人とキスはしないでしょ。
LINEの文面に関しては、後に「おじさん構文」と呼ばれるものだと判明しました。今では有名でネタにされるほどですが、2016年頃の私はそんなことを知りませんでした。
見事におじさん構文だったんです。やっぱり20代にはきついよ、私が変なわけじゃなかった……と一つ自信を取り戻しました。
が、LINE以外では会話もない。楽しくない。気持ち悪い。
もう無理だ。
そう思ってお断りしました。
同性愛の経験もない
男性だから気持ち悪いのかな。同性となら平気なのかな。
だけど、思春期やそれ以降で同性に恋をした経験もありません。
男性に嫌悪感を抱く、だからといって女性に好意を抱いたこともない。
いよいよ、私は何だ……?と疑問が膨らんでいました。
そしてある時、ネットで調べていたらアロマンティック・アセクシャルという言葉に出会ったのです。
当時は当時は、きっとこれだ!と思いました。
ただ、今でも思い込もうとしている側面も否めません。自分が分類されないということは不安です。
母親に打ち明けたら、やっぱり異常者扱いされた
このころはまだ毒親だと思っていなかったので打ち明けました。
私はアロマンティックとかアセクシャルとか言われるものかもしれない。
他人に恋愛感情も性的欲求も抱かない人なんだって。
動物や友達を大切に思うことすらできないの?
病院に行って診断をもらえ。治療できないのか。
など言われました。
その時は懇々と、友達や動物は普通に好きだし、そういうのは病気じゃないから治療するものじゃない、と説明しましたが納得していない様子でした。
結局、娘を異常者扱いしたかっただけでした。
この人は理解なんてできない、と思って私はそれ以来その話題はしませんでした。それなのに母親は妙に理解のある振りをしようとして、その話題を的外れな方面から吹っかけて来ます。多分、歩み寄りのつもりなんだろうけど、私からしたら「馬鹿にされてる?」と感じるような言い方でした。
上記のNHKのドラマを見て私にも勧めて来たりしました。どうせ理解できないんだから関わってくれるな、というのが本音で適当に流してました。
正直パートナーがいる人が羨ましい

SNSやYouTubeではセクマイさんの発信も増えてきました。漫画やドラマなどでも同性愛パートナーの苦労や日常が描かれることも、それが自然と受け入れられるようになってきました。同性愛者はそれで苦労も苦悩もあると思います。
正直、私はそれを一緒に乗り越えられる、支えあえるパートナーがいるというのが羨ましいです。
毒親に悩みながらも新しい家族に癒される人もいれば、新たな家族の悩みを抱える人もいます。だから私は「理解のあるパートナー」「一緒にいて幸せになりたいと思えるパートナー」が羨ましいだけなのでしょう。
その気持ちはセクマイでなくても、独身者だからこそ抱えるものかもしれません。
私は結婚しない、一生独身でいい。
と周りに言っています。でもそれは孤独を感じていないというわけではありません。
孤独は感じる、でも好きでもない人と結婚はしたくない
一時の気の迷いで、気の合わない人間と一緒になって、自分を押し殺して、自分の時間も趣味も何もかもを捨てて、夫や子供のために自分の人生を捧げるなんて無理だ。
自分の好きなものも捨てて、やりたいこともできず、お金に苦労して、旦那と子供の奴隷になって、朝から晩まで食事の世話と家事ばかりして、旦那の愚痴しか言うことがない……そんな人間になりたくない。
私にとって結婚とは、そういうものなのです。
結婚=自我を殺す、自分の人生など捨てる、他者に自分の人生を捧げて尽くすこと。
自分の親を見たからそう感じたのか、世間一般の「旦那のこういうところが嫌!」という愚痴を見るからそう感じるのか、私にはまだわかりません。
結婚して愚痴ばかり言う姉を見ていると「なんで結婚したんだろう」と呆れる気持ちです。本人ですらそう言います。同棲して子供が出来たから結婚したんでしょ。
まとめ:セクマイなのか毒親育ち由来なのか区別がつかない

これまでアロマンティック・アセクシャルとして書いてきましたが、それでも毒親育ち由来なのかも、と思う気持ちも捨てきれません。
毒親関連の本では「人間関係を避ける、親密な関係を築きにくい」という特徴も触れられます。が、SNSでは今のところそういうタイプのツイートを見たことがありません。毒親系コミックエッセイでも「恋愛依存や性依存の時期がありました」とはあっても「異性も同性も恋愛的に好きになれないんです」という困りごとを抱えた人は見ません。
困ってないだけでそういう人は多いのかもしれません。私も困ってはいないけど「人と違う」「人が当たり前にできる恋愛体験ができない」というコンプレックスや孤独を感じます。
今後も私は独り身だと思います。余程のことがないとパートナーを得ることなんて難しいと思います。そもそも今の状況では人との出会いもありません。
だからこそ、将来への不安、将来孤独への不安は常に消えません。
それでも孤独感を埋めるためだけに、苦手な人付き合いを無理にしたり、嫌悪感を抱きながら婚活をするなんてのはもう御免です。