前回の記事では家族同士でプレゼントを贈りあい、イベントを大切にし、家族の死を悲しむ、まるで夢かファンタジーのような家族愛に溢れたAさんの話をしました。

前回の記事を書くにあたって「家族 プレゼント」というキーワードで関連するキーワードを調べてみました。
調べ方は「ラッコキーワード」というサイトを使っています。
私の予想としては下記のような
- 「しない(不要)」または「する(必要)」
- 「おかしい?」
- 「するべき?」
- 「何がいい?」
など、そもそも「するもの」か「しないもの」かどうかを調べる人が大多数だろうという予想で、そういったキーワードが関連付けられるのではないかと考えていました。
ところが結果は非常に眩しくて目が潰れそうなものばかりが並んでいました。下記に挙げたのは上位のみ。
- 「ランキング」
- 「家電」
- 「食べ物」
- 「お揃い」
その他のキーワードもすべて、プレゼントをするのが大前提で何が喜ばれるかを知りたい人が調べるキーワードでした。
まじかよ……。
誰も家族にプレゼントを「する」「しない」の疑問を持たないのか。
と、かなりショックを受けました。

一般的に家族間でプレゼントを贈るのってどういうとき?
一般的には
- 家族の誕生日
- バレンタインデー・ホワイトデー
- ひな祭り・こどもの日
- 父の日・母の日
- クリスマス
でしょうか。
気になったので前述のラッコキーワードでそれぞれのキーワードを入れて調べてみました。
家族+誕生日

正確な統計をとったわけではありませんが、このように分類できる印象でした。
- プレゼントをあげる・外食に行く
- 祝うべきなのか・祝わない=祝うことに疑問がある人
- 祝われなかった・忘れられてた=祝ってほしい人
- 知らない・覚えてない
プレゼントをあげたり外食に出かけることに眩しさと驚きを覚えましたが、祝うかどうかについて疑問を持っている人がいるということに、ちょっと安心もしました。
家族間で誕生日を祝わないのは一般的、というわけではないのでしょうか。
ところが、その検索結果に出てきた悩み相談やQ&Aサイトを見てまた嫌な気持ちになりました。
「祝うべきです。祝わないのはおかしいです。祝わないのはよっぽど事情がある人でしょう」
「プレゼントをあげるのが普通ですよ。あげたくないなんていう相談者さんは酷いですね」
「冷たい家族ですね」
「あなたが今まで家族のためにお祝いしてきたのにそれなら家族が酷い」
相談者「やっぱり酷いですよね? もう誰かの誕生日は何もしません」
実際の家族の事情を知らずに「祝わない」相談者を責める回答が目立ち、「祝われなかった・忘れられてた」相談者への同情と家族への非難がありました。
彼らは「幸せな家庭で育ったから家族を愛する」というのが常識の世界に住んでいるのでしょうか。
家族の誕生日はどうでもいい、祝われたことがない、祝っても嫌味を言われた、ケチをつけられた、祝ったら嫌な気分になった……という経験はないのでしょうか。
と絶望しかけていたら別の見方もありました。
「義務ではないけどラインでメッセージやスタンプは送るぐらいです」
「相手の誕生日は祝わないのに自分は祝ってほしいって固執する人いますよね。忘れられたって泣き叫んで怒る人」
「相談者の親に毒親の気配を感じます」
(家族の誕生日を祝うのは義務ですか? より要約)
相談者「私にとって誕生日は豪勢に過ごすのが普通だと思ってたけど、パートナーは『食べたいものは食べたい時に食べればいい』『欲しいものは欲しい時に買えばいい』という考えで、祝ってほしかった私のことを理解してくれなかった。ありえない」
「我が家も誕生日は何もありませんでしたよ。家庭それぞれの形があるんだから相手を責めることじゃない」
「あなたの言う誕生日は、私にとってはクリスマスのイメージですが」
「あなたがこれからパートナーや子供と祝いあう形を作ればいい」
「パートナーは祝われる嬉しさを知らないのなら、あなたがその祝ってもらって嬉しいという経験を与えたらいい」
(誕生日が無い家ってどう思いますか? より要約)
などなど、毒親育ちの私にとってはこれらの方が現実的な回答に見えました。
もちろん都合がいい部分しか見てない、という自覚もあります。が、「家庭ぞれぞれの形がある」「あなたが不満なら話し合って二人で新しく作ればいい」というのはとても優しくて、同時に将来の明るい回答だと感じました。
家族+バレンタイン・またはホワイトデー
キーワードはこのような感じでした。
- レシピ
- 金額・予算
恐らく調べる人は、家族に何かあげるのが大前提だからこそ調べるのでしょう。誕生日やクリスマスのような家族間のイベントというイメージはない……という私の認識でいいのでしょうか。
ホワイトデーも「お返し」という前提のキーワードでした。「お返ししたくない」と思ってる男性やその家族もいそうですが……。
家族+ひな祭り・こどもの日
- 初節句
- 写真
というキーワードが多く誕生日ほどの数は出てきませんでした。誕生日とはちょっと毛色が違います。
Q&A系でも様々な質問があったので「この日はこうやって過ごすべき!」というイメージは多くはない……という私の認識と一致していると見ていいのでしょうか。
家族+母の日・父の日
- 写真
- プレゼント
というキーワードの他にも、Q&A関連では意見がいくつか見られました。
「義務じゃないけど、世間からは冷たいと思われるでしょうね。感謝する気持ちがないと見られても仕方ないですよ」
「家族それぞれだから別にいいんじゃないかな」
「その人の気持ちや家族による」
(母の日について より要約)
相談者「嫁から、子供に『母の日はお母さんに感謝する日だよ』と教えるように、と言われたんですが。それを嫁が自分で言うのってどうなの?」
「我が家は父親から『お母さんに喜んでもらおうね』と一緒に何かすることで、母に喜んでもらえたという経験が積み重なった」
「それを子供に教えるのは父の役目。誰が教えるの?」
「感謝は自然と湧き出るもの」
(嫁から「母の日に『ありがとう』と感謝の気持ちを伝えるんだよ」と子供たちに教えなくちゃいけないと言われました。 より要約)
と、こちらはちょっと意見が分かれていました。「父親から『喜んでもらおう』と言われて一緒にやった、喜んでもらえた。その経験が積み重なっていった」というエピソードが自然に身に付きそうに思えます。
家族+クリスマス

特大イベントのようで大量のキーワードが出てきました。ざっと見た感じでは、誕生日のように「祝わない」「忘れられてた」という旨のものはありませんでした。
- プレゼント交換
- ランキング
- 食べ物
- 金額・予算
- いつ
- 過ごし方
- パーティー
- ゲーム
などなど……家族と何かをするのが当たり前というキーワードばかりで、「何もしない」というのは出てきませんでした。すごい。
とはいえ試しに「家族 クリスマスプレゼント 交換」「家族」 プレゼント 交換」で調べてみましたが、はっきりと「家族と交換するのが当たり前」と明言されたページはありませんでした。あくまで「家族に贈るのにオススメ」という紹介やランキングの形でした。
あなたの家族ではどうでしたか?
毒親育ちではなくても、家族の在り方はさまざまのようです。何もしないからと言って冷たい家族というわけでもないし、イベントをしっかりやるからと言って愛に溢れた家族というわけでもないと思います。
中には「プレゼントしないなんて冷たい」「感謝しないなんてあり得ない」という立場の意見もありましたが、「家族それぞれだから」「うちも何もなかったよ」「これから家族とやっていけばいい」と各自のあり方を認める立場、新しい家族と作っていく将来性のある意見もあります。
私は今年、十年以上振りにプチ毒母へ母の日と誕生日のプレゼントをしました。特に理由はありません。あえて言うなら、還暦だし、あれが欲しいって言ってたな、という思い付きです。
それも私の中で何か変わり始めている証なのではないかと感じています。といっても進んだり戻ったりを繰り返していくことでしょう。
来年はどうするかわかりません。今年のクリスマスすらどうするかわかりません。
皆様の家庭ではイベントをどう捉えていましたか?
