こんにちは、たまおです。プチ毒親育ち・プチ機能不全家族育ちと判明し、前回は姉について長々と語ってきました。
一般的に毒親は連鎖すると言われています。
ただ自覚があり、正しくセラピーを受けるなどしていれば、連鎖を断ち切ることもできるとされています。逆に自覚があってもセラピーを受けなければ、何が『毒になる』のかを理解せず自分を変えることが出来なければ、連鎖は止められないと言えます。
今回は毒母がいかにして生まれたのか、毒親の連鎖する家庭について振り返ってみようと思います。

私の生家は祖父の家。子供には大きなお家だったと感じています。
幼稚園ぐらいまでは祖父の家で住んでいましたが、その記憶の中に父親の姿がないことに最近気が付きました。
その家を出たきっかけは、祖父と母の喧嘩らしいです。
母子(後に祖母も)でアパートへ移り、数年後には新築戸建てへ引っ越してます。
当時の記憶はあまりありません。
ただとにかく幼稚園に行きたくなかったことや、幼稚園児ながら問題行動のある異常な精神状態だったことは覚えてます。
その時のことを思い出しては、誰か私を呪い×してくれ、と思ってしまいます。
あ、もちろん今の猫ちゃんを見送った後で。
母方祖父母(別名毒離婚家系)
祖父

父母の離婚成立後に祖父母も離婚してます。離婚家系ですね。
昔ながら?の体罰系親父だったそうです。竹刀を持って追い回していたと聞いたことがあります。
母にはすぐ怒って「出ていけ!」と怒鳴るような人だったそうです。が、孫には甘いです。
祖母と離婚後、別の女性と再婚しました。
祖父は母と喧嘩しながらもいろいろと経済援助をしてきたそうです。
私が祖父のすごいなと思う点は、たとえ後妻がいても血の繋がった家族には筋を通す、というところです。後述する私の実父とは真逆です。
ありがとうじいちゃん。
祖母

祖父とは違う、何か怖い(というか不気味な)人と思ってました。生家での記憶の中にも姿はありません。
我が毒母が子供のころ、長男(私の伯父)だけ連れて家出したことがあるそうです。
当時子供だった毒母は「絶対に自分も連れて行ってくれ」といったにもかかわらず置いて行かれたそうです。
私が幼少期、家族で外食しても何かの拍子でキレだし、「一人で歩いて帰る」と言い張り、実際に夜道を一人で歩いているところを母が車で回収していました。何回かありました。
若いころから頭痛薬を一日1~2箱消費する人だったそうです。もちろん病院嫌い。
部屋に引きこもり。家族とも顔を合わせない生活に。
後年、認知症にて通院した際に薬物依存とうつ病と診断されました。
孫である私は嫌われていたと思うし、私も嫌いでした。
母方伯父
精神疾患で入院歴ありらしく、私が小さいころに亡くなってます。毒母と喧嘩した際に
当時の精神病棟がどんなところだったか、
どんな思いで見舞いに行っていたか、
警察でどんな思いをしたか、
などなどぶつけられて「知るか! 私じゃなくカウンセラーに言えよ!」と言い返しました。通じませんでした。
病室で亡くなる前日に「今度はたまおちゃんも連れてきてね」と言ってくれたそうです。
家では日本人形を作っていたことは覚えています。綺麗だった記憶も。
だからか、日本人形=怖い、という意識よりも、精巧な作りや着物や装飾品の美しさに感心します。
現在、我が家にも立派な日本人形が三体いるんですが、猫にガラスケースを破壊されて以来クローゼットの中でお控えいただいております……本当はちゃんと飾って差し上げたいんですが……。
残念ながら、亡くなった後に叔父に関わる全てのものが処分されたそうです。
プチ毒母

そんな家庭ですから母もまた毒親家庭に育ったと、私は考えています。毒母の若かりし時代は不良少女だったということです。
母自身、過去にうつ病で服薬とカウンセリングに通っていました。現在もかかりつけ医で抗不安薬だか抗うつ剤だか処方されています。
私が幼少期のころ、私のプチ毒父が黙って実家に帰ったことがあるそうです。
私が、母にも黙って仕事からも逃げるようにカウンセリングへ行ったとき、母から
あんたの父親もそうだった。黙って勝手に行った。一言ぐらい言えないのか
とキレられました。
いやいや、加害者に何で面と向かって言えると思ってんの?
言ったところで逆上してより一層傷つけられるのがわかってるから、一刻も早く脱出したかったんだよ?
というかあんたの家族が二人もそういう行動に出るってことは自分に原因があると思わないのでしょうか?
思わないから毒なんだよなあ。

私は幼少期から、何かと祖母と口論するのを見ていた気がします。
祖父のこともすごく悪い人間だと評し続けていました。
それで「あんたは私の両親を大事にしない」と言われても、ですよ。
高齢者に対する身近なモデルケースがそれだからなあ。

夜中に、主治医に電話で泣き叫んでるのも聞いてました。
母一人で家族を養うために起業して、一生懸命育ててくれたのはわかります。
でもまだ幼い子供は感情がついていかないんですよね。
朝から晩まで働いて家にはいない、手料理も知らない、いつも疲れてる、忙しそう、大人の不和を見せつけられてる、姉妹間の格差を感じる、話を傾聴してくれない、受け止めてくれない、子供ながら何か反論してみても脅されたり突き放された時の気持ちしか残ってない、子供のころの会話なんてまるで覚えてないけど、ある程度大人になってからは常に職場や家族の愚痴を聞かされる。
物質的には満たされていた、暴言暴力もなかった、けど子供が本心で求めるものは与えられなかった。
そういえば小学生の時に、「あそこに行きたい」と言ったのを一緒に行こうと約束してくれましたが、当日になって行けませんでした。
そのことについて
お母さんだって忙しくて疲れてるのに!
あんたそんなに行きたかった? そうは見えなかったけど。
と言われました。
こうして子供らしさは潰されていくんですね。
そんなプチ毒です。
次回へ続く
主に母方の家系について見直してみました。
そして次回は忘れがちな父について触れていきます。