こんにちは。つい先月になってプチ毒親育ち・プチ生きづらいと発覚した30代独身女+保護猫8匹、たまおです。
今日は私のプチ毒母がどのようなタイプだったのかを考察してみたいと思います。
毒親にはさまざまな種類がいますよね。身体的・精神的・経済的・性的・教育虐待・ネグレクト・過干渉など。
私の母は『プチ』というだけあって、上記に当てはまるような虐待はありません。一見すると娘に理解があるし母子家庭ながら恵まれた環境で育てた良き母です。
とはいえ子供である私は、20代半ばを過ぎたころから家業で一緒に働くようになり、母との衝突が増えました。そして姉を嫌い、(存在を忘れがちな)父を嫌悪し、周囲へのイライラが抑えられず、現在適応障害の診断を受けて休職中です。
適応障害と診断を受ける前に、様々な動画や本に出会って初めて自分が普通ではない、それも悪い意味で、と気が付きました。
でも一般的に毒親と言われるような過激なタイプではない、だけど納得のいかない言動に振り回されている……といったところで私の被害妄想なのか、それすらも悩んでいました。
ところがある時その正体にヒントを得たので、ブログという形で記録に残しておこうと思います。
これが誰かの、親子関係に気が付くきっかけになれば幸いです。
きっかけとなったのはTwitter
プチ毒母に毒親についての動画や本を読むように勧めた時期、プチ毒母曰く「勉強した」らしいです。その時に言われた言葉が下記のものです。
補足しますが、下記のツイートの発言は母親に言われた言葉です。専門家の言葉ではないです。
大勢の専門家や経験者の方々が出版した本や動画に触れた感想というのが、上記のものでした。字数制限があったので酷くわかりづらい表記になってますが、正確にはこのように言われました。
毒親育ち、アダルトチルドレンは自分に都合のいいところだけ読み取るんだね。
親が勝手に生んだんだから親が責任をとれというんだね、それも病気だろけど。
カウンセラーも精神科医もあいつらは勉強しただけの一般論しか言わない。
私のほうが、直接精神疾患患者がどのように落ちていくのかを見てきたから、私のほうがよっぽどわかってる。
この「当事者でもないやつに何がわかるんだ」思考が嫌いです。
数々の当事者たちを観察研究した結果が学問だったり理論だったり手法として確立されているという歴史を、まるで無視して自分こそが偉い、自分しか特別ではない、という思考になっていると思います。
さて、ここで「もしかしてNPDではないですか?」という助言をいただけました。
NPDという言葉は見かけていましたが、具体的には調べてこなかった私……Twitter界隈では自己紹介欄にてよく見かける言葉です。
心理学をちょろっとかじっただけの私にはよくわからなかった言葉です。これを機に調べてみました。そしてついに心のモヤモヤに名前がついて安心したのです。
NPDとは(narcissistic personality disorder)

自己愛性パーソナリティ障害(narcissistic personality disorder)のことです。
narcissisticとは自己陶酔的、自己陶酔者、自分自身が重要、ナルシスト、などなどのことです。
端的に言うと、病的なまでに自分自身が重要であると考えなければならない人、のようです。
作業がてらまずは動画で勉強と思って「NPD 母親」で調べてヒットしたのが次にあげる動画です。
動画で言い当てられた母の言動
思わず笑ってしまうぐらい言い当てられたのがこちらの動画です。
動画の概要欄に挙げられている言葉、動画内で解説されている言葉、すべて言われたことがあります。
次は、この動画内で挙げられている不可解な発言に沿って、私の母のパターンを上げていきます。
~~してやったのに!
各所で明言されていますが、子供の養育は親の義務です。
それを親が子供に対して恩着せがましく言うのはおかしいです。それこそ「こっちから頼んだことはない!」と言いたくなります。
私は養育という言葉には衣食住を満たすだけではなく感情面の発達や愛着関係や人格形成も含まれているような気がします。
動画内で高橋先生は「子供が抗議しているのに親は話をそらしているんです」と解説されています。納得!
何の話をしているの?
私は感情に寄り添ってほしいんだけど……。
恩知らずなやつめって責められてるの?
という思いが強いのに、なんだか別方向から槍が飛んできて話し合いにすらならない状況です。
また先生は「親自身がしてもらえなかったことを子供にしてあげたという意識がある」と解説されています。
なるほど、確かにそうかもしれません。もちろんそれは母親VS祖父母のことで、私には関係ないです。
親がやってあげた、という親の気持ちを押し付けないで子供の気持ちを重視してほしかったです。
付随して思い出した「無償の愛」
恩着せがましく言ってくるプチ毒母ですが、かつてはこんなことを言ったことがあります。
世間の人は優しくしてくれない、必ず見返りを求めて来る。
でも母親だけは子供に見返りを求めない愛を捧げているのよ。
無償の愛は存在しないけど、母親だけは子供にそうしているのよ。
まず「他人は冷たいものだ、誰も信用できない」ということを刷り込まれていますね。
そしてそんなことを言うぐらいなら「私はこれだけ子供のためにしてやったのに」「親の好意を断るなんて可愛くない」とか言わないでほしいです。
- 親は見返りを求めない無償の愛を私にかけてくれている。
- それなのに私はそれを断っている。
- 私はなんて惨い娘なんだ。なんで親の愛情を受けれないんだ。親が可哀そうで申し訳ない。
こうやって自分の人格を自分で否定するという、ものすごく悲しい事態が引き起こされてきました。
私は子供のためこれだけやった立派な親だ。

高橋先生が仰っているように、私がこういう性格や適応障害になってもプチ毒母は自己を振り返ることはしませんでした。
自己正当化と自己保身に必死でした。
そして自分がどれだけ可哀そうか、どれだけ辛い人生を歩いてきたか、子供のためにどれだけ犠牲になってきたかをアピールしてきました。
高橋先生は、この手の毒親は「自分の非や過ちを認めることが出来ない」と言われています。まさしくその通りです。
この何年間かに頻発する親子の衝突の中で、私も気が付きました。
この人(プチ毒母)は絶対に自分の非を認めない。間違っていても認めない。
意地でも認めないんです。「あ、そうか」「そうだったね」の一言でも認めればいいのに、「いや」「だって」「でも」「あんただって」「あんたが悪い」しか出てきません。
もう聞くに堪えない屁理屈をつけて自己正当化に励んでいます。呆れて何を言っても無駄だと思って黙っていたら「ほら、そうでしょ? いつも私の言ってることが正しいんだから」と勝ち誇ってくるのが一層腹が立ちます。
そんなこと言ってない! そんな事実はない!

どれだけ状況を説明しても納得しません。
数か月前の記憶であっても、昨日のことであっても「そんなの何年も前のことだ!」「そんなこと言ってない。あんたはいっつもそうやって記憶を改ざんする」と否定します。
どれだけ証拠をそろえて論理立て訴えても否定します。前項と関連して、絶対に自分の間違いを認めないんですよね。たった一言「そうだったね」と言えばいいのに。
絶対にそんなこと言ってない!
そんな事実はない!
おまけで言われた言葉「あんただってそうだろうが!」
母に直接言ったことがあります。
絶対に自分の間違ってることや私の言うことを認めないよね!
一度だって「そうだね」と言ってもらったことがない。「あ、そうか」の一言で済むことを。
あんただってそうだろうが!!
いっつも私の言うことを否定してくる!
これって幼稚園児の言い合いレベルに見えます。
「バカって言った!」「そっちが先に言い始めた!」
という、どっちが先に始めたかでどっちが悪いかが決まる。という思考回路に見えるのですが、いかがでしょうか。そうなると幼児よりも口がうまい大人のほうが言い始めたとしか思えないんですが……。
うんうん、あなたはそう思うのね。
あなたはそう考えるのね。
それも一つの考え方だよね。
(それが正解かどうかは決めなくていい)※非審判的態度
こういういったんは受け止めてくれる母親のもとで育っていれば、何でもかんでも否定する子供にはならないと思うんです。
子供としたら、こんなプチ毒母のもとで育ったからこそ、反抗期すらなく自分の心を押さえつけられ続けてきたわけです。家庭内で「あ、そうだったね」「そっか、ごめんね」といった言葉を聞いたことがありません。
でも当のプチ毒母は「私は黙ってあんたの偉そうにかみついてくるのも受け入れてきた」と言い張るんです。
私自身は受け入れてもらえなかったと感じているのに……世界には自分しかいないと思っているのでしょうか。
あっそう、私が全部悪いのね! 毒親で悪かったな!

一貫して、自分を振り返って反省するという姿勢がないんですよね。
子育てに失敗した、とはっきり言われました。医者からは「なかなかきついことを言われますね」と引かれました。
動画内では「私が死ねばいいんでしょ、と言い出すこともある」と言われていました。
直接言われたことはありませんが、これまで死や心中を連想させる発言を受けたことがあるので、そう言われるのも予想できます。
どれだけ親に反発していてもそんなことを言われると子供のほうが罪悪感を抱える、それ以上何も言えないというのが想像できないのでしょうか。
この点も動画内で解説されていて、「あ~」と納得しっぱなしです。
あんたはおかしい。病気だ。人格異常者だ。

動画でも「毒親さんはこのように言ってしまう」と指摘されていました。そうなんです、究極的にここに来るんです。
「我が子を落としてまで自分が正しいと言い張らなければならないなんて、ヤバい状態ですよね」
と言ってくれてすごく救われた気持ちです。あなたがおかしいんじゃないんだよ、と言ってくれたのも同然です。
私はおかしくない!
ああ、そう全部私が悪いんだね! 私の子育てが失敗した!
あんたは私がこれだけやってやったのに毒親と責めるのか!
お前のほうが病気だ、お前が人格異常者なんだ!
というのがプチ毒母のいつもの発言です。
何回も言いますけど、それって親の発言じゃないです。
人の気持ちを勝手に決めつける
動画内のおまけ部分として解説されています。
あります。私もされます。あと好みも勝手に決めつけられます。あるいは否定されます。
うちは母子家庭だけど何不自由なく親に愛されて育ってよかったわね。
あなたは好きなことだけやれて幸せ者ね。
休職中に休みたいだけ休めてよかったでしょ?
こういうの好きでしょ?
あんたそんなの好きだったっけ?
え? え?? そうだったっけ?
私の感情って……?
楽しみに茶々を入れられる
私がやってみたいと思って始めることに、必ず文句や嫌味を言われます。
例えば、私が友達に誘われて婚活をしたとき、歯並びを矯正した時、ジムに通い始めた時、美容院へ行くとき、友達と旅行へ行くとき、一人でイベントに参加するとき。
- どうせ続かない。
- どうせ今はハイになってるだけだから必ず落ちる時期が来るよ。
- いいね、そんだけ自由にできて。時間があって。
私は自分がよく考えて行動し始めたことは三日坊主にはなりません。一体私の何を見てこのような評価を下すのか全く分かりません。
婚活は半年以上続けて何人かと会いましたが、私の中に嫌悪感が生まれて考え抜いた結果やめました。
矯正もホワイトニングも終了まで続けました。
ジムはコロナ禍で閉業するまで週2~4回、3年間通い続け、会員の中でも長続きしているとほめられました。
今でも家で動画を見ながら宅トレを日常にしています。
楽しんだ後に落ち込む時期なんてありませんでした。楽しみの後に急遽仕事を休むなんてこともありませんでした。
なのに、言われるんです。
完全にプチ毒母自身の世界観でしか見ていません。
いろいろと私自身の感情や行動を勝手にプチ毒母の観点で決めつけられることが多かったです。だからこそ、自分自身の気持ちがわからなくなっていたんです。
でもプチ毒母はそれすら認めません。認めるときは「じゃあ死ぬ」というときでしょうね。
まとめと続き
ここまでは動画に沿って、不可解な発言について思い当たる節を書いていきました。
次回は親子関係とは別に、プチ毒母の持つ独特な世界観を紹介したいと思います。
今回もありがとうございました。