こんにちは、たまおです。
プチ毒親・プチ機能不全家族育ちと判明した経緯を語り、姉について語り、そして前回からは毒親がどのように発生したのか、毒親の連鎖についてみてきました。
前回は主に母方家系でしたね。

今回は忘れがちなプチ毒父についてみていきたいと思います。
毒父

うっかり書くのを忘れる程度の存在です。
離婚したのは私が幼稚園頃のことですが、離婚後も毎週末に父と会ったり、父方の実家に一緒に帰省して親戚と遊んだりと、子供時代は仲が良かったです。
今になってわかりましたが、この人も何らかの人格障害でしょう。
プチ毒父の嫌いなところ:子供時代から思ってたこと
生き物を殺すことを楽しんでいる

幼少期から、虫を捕まえては花火や爆竹をつけて殺すのを楽しんでいたそうです。
鳥をエアガンで撃ったとも聞きました。
青年期になってからも犬の尻尾に火をつけて逃げるのを見て笑ったと聞きました。
異常者です。気持ち悪いです。
たとえ虫であっても快楽のために恐怖を与えるなど、動物虐待にほかなりません。
話を聞かされていた幼い私がしきりに「かわいそう」と言っても笑って武勇伝のように語るんです。
異常者です。
これ、サイコパス本にそのまんまのエピソードが紹介されていました。
ルールやマナーが守れない

子供のころ、遊園地の観覧車に乗っていたらカゴを揺らされました。
揺らすのなんてルール違反、やってはいけないことと決められていますよね。
だから「やっちゃいけないことだから駄目だよ」と強く怒っても「こいつ怖がってる!」と笑って余計にやるんです。
怖いとかいう問題じゃないです。(実際別に怖くなかった)
やってはいけないことです。
でも躍起になって怒れば怒るほど「怖がってる」と笑うんです。
何も伝わりません。
プチ毒父の嫌いなところ:性格

何につけてもそうです。
空気を読まないで、本人はウケ狙いのつもりで、笑えないことをする。周りに怒られると「冗談じゃん! 本気にするなよ!」と逆上します。
周りがどれだけ本気で怒っても「冗談じゃん」
あまりに立場が悪くなると、黙り込んで逃げる。
これでもサイコパス本に同様のエピソードが……。
職場でも
仕事においても(家族経営なので)、業務上の注意をしても絶対に従いません。
実際にはちょっと違いますが、簡潔に言えば社長=母、部下=父、みたいなものです。
職場で何かあった場合の責任は経営者である母にあるわけです。
業務上の注意しますが、全く聞きません。
「しょうもなっ!」「くっだらない」「そんなことで!」「知るかそんなもん」
のオンパレード。サラリーマンとしてもアウトな態度です。
今現在はいろいろあって、その父を監督してくれる存在がいるので少しは改善されました。
が、監督者の見ていないところではやりたい放題です。
子供に対しても

よく私ら子供たちがテレビを見て笑っていると「何が面白いんだ? しょうもない」と水を差されました。
私たちはすごく気分が悪くなりました。
口癖のように、人の言うこと、選んだもの、喜んでいることに「そんなものしょうもない!」と言ってきました。
今でも大嫌いな言葉です。
プチ毒父の嫌いなところ:離婚後も嫁実家の世話になってる
父は母方祖父の会社で働いてました。父の立場で言えば、嫁の父親の会社です。
離婚後もそこで働き続け、さらには嫁の実家で数年間暮らし続けていました。
別れた元妻の父の下で働き、別れた元妻の母に生活の面倒を見てもらっているんです。
誰に話しても呆れられる話ですし、私も呆れ果てています。
普通は実家に帰るべきでしょう、と誰もが言います。働いている会社ですら、別れた元妻の会社なんですから。
その時の毒父は
何かあったときのために子供たちのそばにいたい。
と言っていたそうですが、まるで意味が分からないのです。
何かって何? 必要な金銭援助もしないで、何のためにいるの?
娘からも「毒父がその時に実家に帰ってくれれば、こんなに恨まずに済んだかもしれないのに」と思われる結果となってますが、どう考えているんでしょう。
数年後に父もアパートで独り暮らしをし始めました。
プチ毒父の嫌いなところ:消えたお金

祖父は孫たちのためを思って高めの給料を設定し、その他にも経済援助をしていたそうです。その分、自由になるお金は子供へ行くだろう、と。
来てません。
離婚時の慰謝料や子供二人の養育費もなかったらしいです。
姉の学費を祖父と折半してくれた、それだけです。私の分は何もしてくれてないらしいです。
ギャンブルも女遊びもなかったそうですがどこへ消えたんでしょうね。
父が子供たちに保険をかけていたそうで、それも満期になって返ってきたお金があったそうですが、それも当然私たちには来てません。
そりゃ保険をかけてたのは父親だけど……と保険屋さんは呆れてました。
プチ毒父の嫌いなところ:母方祖父母を蔑ろにする

そうやって嫁の両親に世話になっていたくせに、
自分はクソジジイの会社でこき使われた。
あのクソジジイは悪魔のようなやつだ。
あの会社のせいで自分はうつ病になった。
と母含めた関係者一同の集まった場で貶し、身内の他にも会社関係の人間から
「いや、あんたの意思で残ったんだろうが。本来はあんたが実家に帰るべきだったんだよ」
と叱られると黙り込んだそうです。気持ち悪さしかない。
母に向かっても
まだじいさん生きてるんか!
しぶといな!
と貶し、母方祖母が亡くなった際には、母にも娘にも一言も声をかけず香典もお供えもなにもありませんでした。離婚後に自分が数年間世話になっていたにもかかわらず。
プチ毒父の嫌いなところ:父方祖父の通夜や葬儀は実の孫より交際相手を優先
母方祖母が亡くなる数か月前、遠方に住んでいた父方祖父が亡くなりました。
その時、毒父は姉への連絡の中で
通夜と葬儀には彼女を連れて行くからお前たちは来なくていい。
(彼女と私たちの仲が最悪なのは知ってます)
と言い、葬式当日には
お前たちは来ないのか?
と言いだし、私ブチギレ。
いえ、もう直接口をきいていなかったので、そんなやり取りをしていた姉に文句を言ってもらったんです。
参加したくても「彼女を連れていくからお前らは来るな」と言われた以上行きたくありませんよ。毒父の交際相手と私たちの仲が最悪ですし。
代わりに、弔電やお手紙やお供え香典などいろいろ送り、個人的にも親戚にラインをするなどしました。
後に親戚から怒ってくれたそうです。
また母方祖母のことについても触れてくれて、
曲がりなりにも自分の子供たちの祖母でしょうが、何もしないのは非常識だ、
といい、毒父の代わりに親戚の方からお香典を頂くこととなってしまいました。
それでも毒父からは何もしてもらってませんけど。
プチ毒父の嫌いなところ:嘘をついてもなんとも思わない

時間は前後しますが、10年以上前のことです。
先にも出てきた毒父の交際相手が登場しますが、彼女の詳細については後述します。
その彼女と交際するとき、私の双方の祖父母に挨拶に行きました。そこで、
「たまおちゃんたちはすごく喜んでくれてます! 姪や妹のように慕ってくれるし、私も可愛がってるんです!」
と彼女が言ったといいます。
それ、嘘ですし。その当時、交際しているということも知りませんでしたけど。
「たまおちゃんが一緒にいるのを見ると腹が立つ」
とまで後には言われましたけど。毒父はその場でそういった彼女を諫めなかったんです。
もう私も成人しているしおっさんが誰と付き合おうが知ったこっちゃない、好きにすればいい、だけど自分たちの立場をよくするために私を嘘のダシに使うな、と父親にキレましたが、だんまりでした。
プチ毒父の嫌いなところ:洗脳されてる
その例の彼女とはいろいろあって、私・母VS彼女になったとき、父は彼女の味方をしました。
一度は娘(私ではなく姉)をかばって彼女に言い返す、という姿勢を見せたくせに翌日には彼女に言いくるめられてました。
最終的に毒父のことを「気持ち悪い何か」(人間ではない)としか思えなくなった

そうやって幼少期からの違和感に気が付き、彼女や仕事のことでどんどん父に対する怒りをため込み、失望し、母親から明かされる娘の知らなかった父親の姿を聞かされ。
ついには姿を見るだけ、声を聴くだけ、父の車がある、父の鞄があるなど存在を感じるだけで、怒りが表情に現れたり舌打ちしたり物に当たったりなど、怒りのコントロールが難しくなっていました。
こちらも一見は子供思いの優しい父だけど、実際は父親らしいことはしていない、なんか人間としてヤバい気配を感じる(オブラートに包みました)、という、暴言暴力はないけど、毒母ともタイプが違う毒父だと思っています。
毒父の彼女(ガチサイコパス)

先述したように父には交際している彼女がいます。詳細は省略しますが、もうここまで含めるとかなりややこしい環境です。
長年家族同然の付き合いでしたが、ある時から本性を現しました。やり口は本当にサイコパス、ガスライティングの特徴に全てあてはまりました。
サイコパスについての本を何冊か読んで、初めてあれはそういう人種、というかモンスターで
対処のしようがない、関わってはいけない、物理的に離れるしかない、
という怪物だとわかり、納得できました。その本でやっと理解者に巡り合えた気持ちです。
ある部族では、そういう人は誰もいない崖から突き落とすしかないと言われている、と読んで合点がいきました。私たちみたいな被害者って多いんですね。
そしてサイコパスたちはなぜ同じやり方を本能で知っているのか、と人間の不思議を感じます。
父方祖父母
とても優しかったです。
まともな両親からあんな異常な人間(父)が生まれるんだなあ、と怖くもなりました。
祖父

孫や息子の嫁たちにすごく優しかったです。
70歳からパソコンの勉強を始めて、エクセルやワードを使いこなし、晩年までエクセルで帳簿管理をし、
勉強したことをきれいな字でメモにまとめ、
90歳で入院するまで仲間たちと登山を楽しみ、
若いころから何もできない祖母に代わって親戚付き合いをこなし、
認知症になった祖母の介護もし、
近所付き合いもよく、多方面に気が利く、賢く、
たくさんの家族写真やアルバムが保管され、
いろいろ本もあり、
私もそんな老後を過ごしたいと思えるような人でした。
祖母

お姑さんとしてはとても良い方で嫁姑関係は良好だったそうです。
そんな優しい祖母でも、前述の父の彼女のことを、
あの彼女さんは嫌いよ、
と言っていたらしいです。
親戚の話を聞いていると、父親の気の利かなさはもしかしてこっちから来てるのかな?と思わせるような人だったみたいです。
曰く、箱入り娘、箱入りおばあちゃん、だったと。
まとめ
毒親は毒親から発生する。
負の連鎖が続いていく。
まさにそれがわかる環境でした。
自分の来歴を語るのも一つのセラピーかな、と思っています。
多分、誰かに知ってほしいから公開できる場所で書いています。
こんな人間もいるのか、という私の記録です。
きっと皆さまもいろんな環境、由来があることと思います。
もうそこはどうしようもないので、せめてこれからは自分の道を見つけていきたいものです。